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人生の迷子になったと感じるサヤカさんの物語①

知り合いの精神科医から紹介されて来室したサヤカさんは、キリっとした顔立ちをした30代前半の女性でした。一部上場企業に勤め、仕事でもそれなりに評価されており、日常生活がままならなくなるような重い精神症状に苦しんでいるわけでもありませんでした。紹介状に記されていた病名は「強いて言えば気分変調症」というものでした。鬱病ほどの気分の落ち込みや体調の変化は見られないけれど、気分の低空飛行が続いている、ということのようです。

 

持っていた傘を丁寧に傘立てに入れて、品のよい挨拶をしたあと、彼女は私の案内に従って面接室のソファに腰かけました。

「このところずっと、色んなことにやる気がでないんです」

彼女ははつらつとした声色で、愛想よく私に話をしていました。

「それって、大体いつ頃から自覚されているんでしょう」

私が尋ねると、サヤカさんは「たぶん、29歳頃」からだと教えてくれました。

 

当時、大学時代から仲の良い数人のグループのなかで、既婚者が多数派になっていきました。

自分の将来を考えたとき、彼女は自分が決して「結婚に興味がないわけではない」けれど、積極的に「結婚したい」という気持ちがあるかどうかもわからないという感覚を意識し、その頃から自分の人生を思い描くのが何となく難しくなったといいます。ただ、仕事は楽しかったので、当時はそこまで深く考えることもありませんでした。仕事に精を出して自分が評価されれば、それは彼女の活力になっていました。

 

サヤカさんのやる気が出ない感覚がより強く意識されるようになったのはつい最近でした。仲良しグループのなかで自分のほかに独身者だったもう一人から結婚の報告を受けました。30代に入り、今の会社における自分の限界も見え始めていました。加えて、新型コロナウィルスの流行によりテレワーク中心の生活を送ることになったこともまた、自身のやる気の低下に関係しているのかもしれないと彼女は語りました。ちょうどその頃から欠勤が増えて、精神科に通院することになったのです。

 

ここまでの話から、サヤカさんが孤独の中にあることが私には想像されました。気がかりだったのは、そうした内容を語る彼女の姿が逆にはつらつとしていたことでした。その態度はまるで、私から「気にしなくて大丈夫ですよ」とか、「なるようになります」とか、「人生ってそんなものです」とか言われて励まされることを期待されているかのようでしたし、実際に私がそう伝えたら「そうですよねー」と笑顔で返答するのだろうなと想像されました。サヤカさんはカラリとしていて、「寂しい」とか「孤独」とかいう言葉がまとうような、しゅんとした雰囲気があまり感じられませんでした。そのことが逆に、彼女の孤独の深さを物語っているのかもしれないとも私は感じました。

 

「お話の内容からは、あなたがどんどん寂しくなっているのではないかと思われたのですが、私の理解が合っているのかどうか、正直ちょっと戸惑っています。というのも、あなたの話し方はむしろ『寂しさなんて感じてないよ』と言っているように聞こえたので。このギャップがどういうことか私にはまだ分からないのですが、あなたは何かお考えがあるでしょうか」

 

私がこのように伝えると、よどみなく話をしていたサヤカさんの雰囲気がちょっと変わりました。彼女はほんの少し沈黙して、何かを考えている様子でした。

 

「『寂しい』って、あまり考えたことがありません。というか、『そんなことあるはずがない』って思っていたかもしれません」

彼女はそう答えました。この時の彼女からは笑みが消えていました。

 

これがサヤカさんとの出会いの面接でした。この時点では、彼女がどんなことを期待しているのか、彼女の「やる気が出ない」という困難がどういうメカニズムのものなのか、そして、私がどんなお手伝いをするのが良いのか、まだ十分に話し合われていません。私はサヤカさんに、もしよければ次回予約を取ってもらって、上記内容について更に話し合っていきたいと提案しました。彼女は「自分でも少し考えてみたい」と返答して、私の提案に応じて予約を取らりました。

 

さて、サヤカさんの心理療法はこれからどのように進んでいくのでしょうか。それはまた次回以降でお伝えすることにします。

 

次回のお話

人生の迷子になったと感じるサヤカさんの物語②