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人生の迷子になったと感じるサヤカさんの物語②

初回面接の翌週、サヤカさんは時間通りやってきました。

私は最初の話し合いが彼女にとってどのようなものだったか感想を尋ねました。面接室で普段は話さないような内容を話したことや、カウンセラーから普段は自分では考えないようなコメントを受けることで、良くも悪くも、様々な反応が生じることがあります。

 

「実は前回のあと、なんだかどっと疲れた感じがして、しばらくのあいだ普段以上に気分が上がりませんでした。でも今は全然大丈夫です」

これが彼女の返答でした。最後の一言が実に彼女らしいと感じます。

カウンセリングのあと、気分がスッキリとしたり、元気になったりすることはもちろんあります。一方で、重苦しい気持ちになったり、不安になったりするような反応もあります。サヤカさんの場合は後者でした。前回、私が彼女を単に元気づけようとするのではなく、はつらつとした彼女の話し方の裏側にある孤独に注目したことが影響していたのかもしれません。

 

彼女は続けました。「なんか自分でも考えてみたんですけど、『寂しい』っていうことをずっと考えていなかったなって思って。それは結構前からで、子どもの頃からそんなことを考えないようにしていたと思うんですよね」

 

私との関わりによって、彼女は一時的に気分が悪くなったのですが、決してそれだけでは終わらなかったようです。彼女はこれまでには注意を向けず、深く考えなかった子ども時代に注意を向け始めているようでした。

「どんな子ども時代だったんです?」

私のうながしに応えるようにして、サヤカさんは自分の子ども時代について回想していきました。

 

彼女は共働き夫婦の下に生まれました。一人っ子で、兄弟はいません。父親は仕事でかなりの成功を収めている人で、休日は自分の書斎で過ごしている人だったそうです。

まだ小さいころ、彼女は父親に遊んでもらおうと書斎に行ってはちょっかいを出しました。父親は困ったような顔をしながらも、彼女の相手をしてくれたようですが、母親はあまりいい顔をしませんでした。じきに母親はなるべく彼女を父の書斎に近寄らせないよう声をかけるようになりました。時に、その声かけはとても厳しい口調になることもあったようです。

 

父親の元に自分を近づけまいとする母親の表情を見るにつけ、彼女は「母親のために」父親の元へは行かない方がいいのだと感じるようになりました。大人になった彼女が今になってその光景を眺めると、母親は寂しそうな人であり、夫の注意が娘に向くことに嫉妬していたのかもしれないといいます。おそらく、夫婦の関係は何かがうまくいっていなかったのでしょう。彼女は、当時の自分には夫婦がどのような関係なのか深くはわからなかったけれど、それでもなんとなく、自分が父親に接近することは母親にとって良くないことらしい、という漠然とした理解を持つようになったといいます。

 

そのことを肌で感じてからは、彼女は自発的に、父親と一定の距離をとって過ごすようになりました。それは彼女にとって寂しい感覚を引き起こすものだったのかもしれませんが、寂しいと感じることは、どこかいけないことのようにも感じられました。家族の中では何かが上手くいっていなかったのですが、彼女はそうした問題がないかのように、自分が満足しているように、積極的に楽しいことを見つけようとしては、そこにのめり込むようになりました。テレビや本やシールなど、何かにのめり込んでいる間は、実際に楽しいと感じました。

 

思春期以降は部活動や勉強に励みました。周囲の女子生徒たちの恋愛話に口を合わせながらも、実際に誰かと交際することはしませんでした。その代わり、決して恋人関係にならないであろう、学校の先生や男性アイドルを遠目から眺めることをしていました。

 

私はここまでの話から、サヤカさんが異性にこころ惹かれる人でありながらも、そういう自分を男性からあえて遠ざけるようにして、何かに熱中しようとして生きてきた人なのだろうという印象を抱きました。大人になってからは、仕事に熱中することで人生のバランスを保ってきたのでしょう。ところが、人生のこの局面で、これまでの生き方が通用しなくなってしまいました。これまでのように仕事にのめり込もうとしても、これまでのように気持ちが動かない。仕事での自分の限界が見え始め、同年代が結婚し始めたとき、「この先どう生きていくのか」という問題は彼女の元に重くのしかかってきたのでしょう。

 

私はサヤカさんが語ったこれまでの自分の人生について、あなたはどう思っているのだろうと尋ねてみました。彼女は少しの間、黙って何かを考えたあとで「今のわたしは、今までのように何かを頑張ることが出来なくなってる。ここに来るまでは、またやる気が戻ればって思ってたけど、なんか元のように戻れるのかどうか、戻りたいかどうか、自分でもよくわからなくなっちゃったって思う。なんか、人生の迷子みたい」

 

彼女の「人生の迷子」という言葉と、その湿った語り口は、とても切実なものを感じさせました。私は彼女のなかには異性と繋がる人生を「いいな」と思うこころがあるように感じるけれど、彼女の別のこころの部分は、自分が異性と繋がることを恐れて、それを禁じているようにも感じた事を伝えました。そして、その生き方にある種の行き詰まりを感じなからも、どうすればいいか分からないこの現状を超える手伝いを彼女は私に求めているかもしれないと伝えました。彼女は、それができたらいいなって思うし、どこかでそれをしないといけない気もしている、と返答しました。

 

こうして、サヤカさんの繰り返されるパターンと、これからのセラピーの役割がより明確になりました。

 

前回のお話

人生の迷子になったと感じるサヤカさんの物語①

次回のお話

人生の迷子になったと感じるサヤカさんの物語2.5