サヤカさんとの2回目以降の面接は、彼女の問題の性質がどのようなものなのかを理解し、カウンセラーがどのような支援を提供することが役に立つのかを計画するための面接でした。専門家は、このような面接を「アセスメント(査定)面接」と呼んでいます。初回面接で十分な理解と支援の計画までたどり着ければよいのですが、こころの問題はその人の人生と複雑に絡み合っている場合も多く、方針決定までに数回の面接が必要になることもしばしばあるのです。
体の病気であれば、発熱という症状に対していろいろと問診をしたり、検査をする場合がありますね。なぜかというと、発熱という症状だけでは身体に何が起きているのかを特定することができないからです。単に解熱剤で熱を取るのではなく、身体の内部で起きている病変を特定したり、特定できなければ推定したりして、身体に起きている異変に対して必要な処置を施します。そうしなければ、事態は改善しないばかりか、最悪の場合は悪化してしまいます。
こころの領域も考え方は同じです。「鬱っぽい」「やる気が出ない」「不安でドキドキする」という症状は発熱と同じように、実に様々な理由で起こり得るものです。これら症状に対して体の異常が見つからない場合、こころの問題は血液検査やレントゲンのように異常を特定できないので、「その人のこころで何が起きているのか」という仮説(説明モデル)を立てます。これにどうしても時間がかかるのです。とても心苦しくはあるのですが、この作業をおろそかにすると、何をやっているのかわからないカウンセリング・心理療法になってしまうので、今後のご自分の心理療法が有意義なものになるよう、みなさんの時間と知恵を頂戴しています。
さて、「人生の迷子」になってしまったと感じるサヤカさんですが、彼女のこころではいったい何が起こっていたのでしょうか。そのことを理解するための補助線として、「性愛」という観点を紹介します。
「性愛」聞くと、なんだかエッチな響きがあるかもしれませんが、こころの専門家はより広い意味でこの言葉を使っています。赤ちゃんがおっぱいを飲んでうっとりしたり、小さい子どもがお母さんやお父さんの肌に顔をすり寄せたり、「将来はお母さん/お父さんと結婚する」と言ってみたり、誰かを好きになってドキドキしたり、「男性らしい/女性らしい」と呼ばれるファッションを楽しんだり、愛する誰かとセックスをしたり、こどもとのスキンシップを楽しんだり。こうした事柄すべてに性愛は深く関係しています。それは人が人とつながる原動力であり、こころを成長させたり、人生に彩りを与えてくれたりする、人が生まれならがに持つ性質です。
サヤカさんは子ども時代のある時点から、この「性愛」生活を十分に生きることが難しくなってしまいました。そう、お母さんの顔色を窺って、お父さんとの接近を自分自身で禁止した頃からです。
きっかけは本当に些細なことと思われるかもしれませんし、ひょっとすると幼いサヤカさんが考えたことは、大きな勘違いだったのかもしれません。それでも、子どもの頃に見える世界と、子どもの持っている知識からすれば、「自分とお父さんが近づくことを、お母さんは嫌がっている」と考えることは彼女の見える世界に一貫した説明を与えてくれます。私たち人間は、複雑な世界を生きるために、世界を説明してくれる一貫した説明(信念)が必要になるのです。そして、一旦その説明(信念)を手にしたならば、今度はその説明(信念)を眼鏡のようにして、その眼鏡を通して世界を解釈するようになります。
さて、お父さんとの接近を回避し続けた結果、サヤカさんの信念はその後も形を変えていきました。「性的になることは危ないことである」、「性的に人とつながることはいけないことである」という具合に(※私が異性愛至上主義者ではないことを断っておきます)。そして、性愛の世界を生きる代わりに、彼女はそのエネルギーを勉強や仕事といった活動に注ぎました。その活動の成功がこころの報酬となって、彼女なりにバランスをとっていられたのです。
サヤカさんが突き当たった問題は、性愛的な生き方をしようとする自分が完全に消えていなかったことに加えて、仕事中心の生活から得られる報酬が少なくなってきたことで、彼女のこころのバランスが崩れてしまったことでした。このまま仕事をがむしゃらに頑張っても、得られる喜びは少ないことに気づいてしまったとき、それまでのようには生きていけませんでした。
ということは、彼女はこれまで生きてきた自分のスタイルを転換しなければなりません。けれど、もう人生の大半の時間を、そうやって過ごしてきたのです。それは決して簡単なことではないし、すぐに変えられるものではありません。それなりの時間をかけながら、サヤカさんがより性愛的な人生を生きやくなるための心理療法に取り組む。これが私がサヤカさんに提案した支援の方針でした。具体的には、精神分析的心理療法というものを提案しました。
さて、その提案を受けて、サヤカさんはどうするのか。心理療法はどうなっていくのでしょうか。次回以降にその続きを追っていきましょう。
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