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人生の迷子になったと感じるサヤカさんの物語③

私はここまでの理解をサヤカさんに伝えました。

「あなたは子ども時代にお父さんに近づくことをやめるようになってから、寂しい思いが沸きあがってこないように勉強や仕事を一生懸命に頑張ってこられたのだと思いました。今になってもなお、「自分が寂しいはずがない」と思い続けようとするあなたがいる一方で、その生き方をこのままずっと続けていけるのだろうかと疑問に思っているあなたもいるようです。だからこそ、あなたはここへ来たのだと私は受け取りました」

 

サヤカさんは「自分が寂しいって感じているなんて考えたくなかったのかもしれない。けれど、確かにそうなのかもしれないと思う自分もいます。それはとても嫌ですけど」と返答しました。そして、ふぅとため息をついたあと、「これからどうすればいいんでしょうね」とつぶやきました。この時の彼女からは疲弊して困っておられる様子がダイレクトに伝わってくるような雰囲気がありました。

 

彼女の悩みは彼女の人生そのものと深く関わっているもので、「こうすればいい」という回答を出せる類のものではなさそうでした。すべての人がそうであるように、自分がこれからどう生きていくのかは、自分自身で考えたり、見出していく必要があります。このようなとき、こころの専門家は答えを与えるのではなく、その人がより生きやすい人生を形作っていけるようにするために、その人がこれまでとは違ったように物を見たり考えたりできるような手助けをすることが仕事になるのだと思います。

 

「ここであなたが寂しいと感じているかもしれない自分と出会ったように、あなたの中にはこれまで自分が見ていなかったあなた、その声を聴いてもらえなかったあなたがいるのだと思います。私は、こころの中のいろんなあなたが対話していけるようにお手伝いすることが、今後のあなたの助けになると思いました」私はそう言って、精神分析的心理療法(この言葉は堅苦しくて長いので、以後、「セラピー」と表現します)というものを彼女に提案し、彼女もそれを始めてみたいと言いました。

 

こうしてサヤカさんと私は毎週のセラピーに取り組むことになりました。このセラピーでは、その日に何を話すのかは決まっていません。ソファに腰かけ、こころに浮かぶことや話したいことを自由に話してもらいます。

 

心理療法を始めた直後、彼女がよく話をしていたのが母親にまつわる話でした。彼女は自分の母親のことを、こころの底ではあまり良く思えていなかったといいます。それは、彼女の言葉を借りれば、この母親が「女々しい」からでした。彼女が幼いころから、彼女の母親はよく泣く人でした。理由は様々で、夫に対する不満であったり、パート先の人間関係で嫌な思いをしたことであったり、母親自身の両親との関係(彼女からすれば祖父母)によるものであったりしました。彼女の母親はそうした自分の不満や傷つきの詳細を幼い彼女に語ることはしませんでしたが、いつもどこか自分が慰めを必要としているという「匂わせぶり」なところがありました。サヤカさんは「大丈夫?」と声をかけ、母親からは「大丈夫よ」と返答される、そんなやり取りが続いていたのだと語られました。

 

「私が声をかけると、母は決まって『大丈夫。こんなことくらいでクヨクヨしていられないわよね。前を向かなくっちゃ』と言うんです。まるで、そのセリフにたどり着くための筋書きが用意されているみたい。私に心配してもらって、それから前を向く、みたいな。だったら初めからそんな姿を見せなきゃいいのに、母は私が声をかけるのをずっと待っているみたいだった。中学生くらいかな、母が悲劇のヒロインのようなものを演じているようにも見えてきて、それがすごく嫌になった。『あんな風にはなりたくないな』って思った」

 

彼女は努めて穏やかに語っておられるようでしたが、その語り口には、苛立ちや侮蔑のような響きがあるように私には聞こえました。

私が、「自分が寂しいと思わないように努めてこられたのは、お母さんのようにはなりたくない、という想いがあったからなのでしょうね」と伝えると、彼女は肯定しました。

「たぶんそうでしょうね。嫌だったんですよ、本当に。自分があんな風に振る舞うのも、自分の寂しさを慰めるために誰かを利用するのも。なんか話していて、自分は母のことをあまりよく思っていないというか、全部がそうってわけじゃないけど、でも嫌いなんだなって改めて思いました」

 

彼女が母親のようにならないために、「ずっと前を向いている」ように寂しさを遠ざけていたのだということが共有されました。それはサヤカさんとのセラピーにおける大事な理解のひとつでした。

 

それとは別に、彼女が気づくことや、言葉にすることが難しいものも、彼女は面接室のなかで意図せず私に伝えているものがあるようにも思われました。それはまた次回以降で書いてみようと思います。

 

回のお話

人生の迷子になったと感じるサヤカさんの物語2.5

次回のお話

人生の迷子になったと感じるサヤカさんの物語④