サヤカさんの物語をここまで読んでくださった方の中には、いったいサヤカさんとカウンセラーは何をしているのかと思われる方もおられるでしょう。カウンセラーはサヤカさんにアドバイスを伝えたり、サヤカさんが生きていきやすいようなスキルを伝えるわけでもありません。それだけでなく、サヤカさんはセラピーに来て不快な思いをしていた場面もあったようです。また、このまま恋愛に発展してしまったら一体どうするのかと心配になります。
私がまだ大学院でトレーニングを受けていた頃のゼミ合宿で、精神分析にほとんど触れたことのない学部生の後輩が放った言葉を思い出します。彼女は先輩が語る精神分析の論文発表を聞いて、「精神分析ってエロ・グロ・バイオレンスだって思った」と感想を述べました。聡明な彼女の感想はとても的を得ていたものでした。その論文に出てくるセラピストとクライエント(お客)は週5日会っていたのですが、そこでやり取りされる会話や夢や空想のなかには、性愛的なもの(エロ)や、不気味なもの(グロ)や、暴力的なもの(バイオレンス)に満ち満ちていたのです。
「エロ・グロ・バイオレンス」は基本的に社会の表側では目に入らないようにされています。それと同様、人のこころのなかでも、性愛的なもの(エロ)や、不気味なもの(グロ)や、暴力的なもの(バイオレンス)は普段あまり意識されることがありません。自分のこころの目立たないところに「エロ・グロ・バイオレンス」がきちんと収納されていること、それが健康なこころの状態であり、社会を生きるひとりの大人になる上で求められることなのだろうと思います。
誤解していただきたくないのですが、ここで伝えたいのは、人のこころのなかから「エロ・グロ・バイオレンス」を排除すればよいということではありません。「エロ・グロ・バイオレンス」が社会の目立たないところに、また、絵画や音楽や映画やスポーツのなかに居場所があるように、性愛的なもの(エロ)や、不気味なもの(グロ)や、暴力的なもの(バイオレンス)が、個人のこころにおいても適切な場所に収納されることが大切なことです。エロ・グロ・バイオレンスがこころのなかできちんと居場所を持つということは、私たちが動物であることや、生きていることと同じくらい、実は当たり前のことです。それは、その人の生きる感覚をよりリアルなものにしてくれます。
サヤカさんは、特に性愛的なもの(エロ)をこころのなかに置いておきたくなくて、こころから排除しようとしていました。彼女のように、子ども時代に「こんな気持ちを抱くことはいけないことだ」と感じると、性愛(エロ)や攻撃的な気持ち(バイオレンス)というものは、こころに置いておくことができなくなります。そうすると、誰かを好きになることが怖くなったり、不当なことに対しても怒ったり「嫌だ」ということができなくなります。他にも、とても傷つくことを体験したり、その体験を家族の誰にも受け取ってもらえないと感じると、その傷(グロ)は「誰の手にも負えないものだ」と感じます。その傷は手当されることがないままとなり、今度は傷ついた自分などいなかったかのように、自分の一部を殺して生きることになることがあります。
自分のこころに置いておけなくなった性愛や傷や攻撃的な気持ちは、こころの隅の風通しの悪い部屋に押し込められていき、今度はその部屋の扉が開かないようにすることに多くの労力を割くことになります。それはとても生きづらい生き方ですが、当事者はそうした生き方をするしかないと感じます。
前置きが長くなりました。
精神分析と精神分析的心理療法が目指しているのは、この「エロ・グロ・バイオレンス」をこころのなかの風通しのよい部屋に収納することのお手伝いだと思います。
精神分析的な会い方をしていると、その人のこころの中にあるものが言葉や行動になって面接室のなかに現れてきます。その結果、性愛的なもの(エロ)や、不気味なもの(グロ)や、暴力的なもの(バイオレンス)が顔を覗かせることがあります。それは基本的に不快で恐いことです。二人きりの空間でエロ・グロ・バイオレンスが漏れ出てしまったら、一歩間違えば大惨事だと思うでしょう。
精神分析・精神分析的心理療法は、「こころのなかにあるエロ・グロ・バイオレンスが面接室に充満しても大惨事にならず、セラピストと一緒にそれを適切に扱うことができた」という体験のためにあります。そのために、私はサヤカさんが感じているかもしれない”ドキドキ”を、サヤカさんと一緒になって無いことのように振る舞うことをしませんでした。仮に「恋愛転移」といってサヤカさんがセラピストを好きになっても、セラピストが大惨事を起こさなければ、セラピーは続けることができます。サヤカさんの恋愛は成就しませんが、その傷つきに付き合うことはできます。失恋をしても、その傷を癒すことができれば、性愛(エロ)はサヤカさんにとって、それほど汚いものでも、危険なものにもならないでしょう。
さて、サヤカさんとのセラピーはどうなっていくのでしょうか。
この先しばらくはブログを書く時間を作ることが難しくなりそうなのですが、また機会があれば、続きを書いてみようと思います。
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