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「医療と介護の相談」講演の記録その1 心理士とは何者?

鎌倉市今泉台にある6丁目クラブ

はじめに

 おはようございます。

 鎌倉市大船にて小さなカウンセリングルームを運営しております、臨床心理士・公認心理師の菅田雄介(すがた ゆうすけ)と申します。

 臨床心理士・公認心理師というのは資格の名前で、一応、この国における「こころの専門家」とみなされるスタンダードな資格です。といいましても、お集まりの皆さんには「心理士」という言葉も、こういった資格名もおそらく馴染みのない言葉かなぁと思います。実際、打ち合わせの段階でそのような話になりました。

 ですので今日は、(1)この国における「こころの専門家」という人間がどのような人間でどこにいるのか。そして、(2)その専門家は「こころの健康」というものをどう考えているのか、というお話をさせていただこうと思っています。

1.心理士という仕事

1.1 心理士(師)は何からできている?

 私がまだ子どもの頃、「〇ファリンの半分はやさしさでできています」という頭痛薬のCMがありました。いまは違ったキャッチコピーみたいですけど。

 調べてみたら、この頭痛薬は痛み止めの成分であるアスピリンという薬剤と、そのアスピリンによる副作用である胃腸の負担を緩和するための成分「合成ヒドロタルサイト」という薬剤の二大成分によって構成されていたようです。副作用もケアする、という意味で「やさしさ」だったのですね。

 なんで〇ファリンの話をしているかというと、心理士も二大成分から出来上がっているところがあるからなのです。心理士を構成している二大成分とはなにか、まずはそこからお話しましょう。

1.2 心理士の半分は自然科学から出来ている

 臨床心理士と公認心理師という資格を取得するにあたって、心理士が学ばなければならないものは何なのか。

 ひとつは「心理学」です。心理学というのは意外と誤解されがちな学問分野で、人の心の機微みたいなものを対象にすると思われがちです。心理学を学んでいると「私の心理がわかるの?」と半分冗談で言われることが何度もありましたが、そんなことはありません。当たり前ですけど。

 「心理学」というのは自然科学の一分野です。自然科学というのは、自然現象の普遍的な法則を探求する学問です。この「普遍的な法則」というのがミソです。「物理学」が物体の普遍的な法則を探求するのと同様に、「心理学」は心の普遍的な法則、「心」の「理(ことわり)」を探求します

 なので大学の心理学科に入ると、データを取って研究を行うためのさまざまな手法を学ぶことになります。「人のこころとはこういうものだ!」と感覚に基づいて言ったところで、それは科学の世界では意味がないので、科学的な方法にのっとってデータを集めて分析しなければなりません。そのため心理学科では、いかに実験状況を統制するか、どのように質問紙を作成するかなど、科学者、研究者になるための教育が行われます。ちなみに私は、卒業研究でラットを用いた行動実験を行いました。そんな世界です。

 このような教育によって、科学的なものの見方や考え方ができるよう形作られることになります。なので心の支援をするときにも、「人は一般的にこのように学習する」とか「一般的にこのように発達する」とかいう科学によって発見された法則性のようなものをあてにしています。当然ながらというか、残念ながらというか、それですべてがうまくいくわけではないのですけどね。

1.3 心理士の半分はシャーマニズムから出来ている

 さて、対人援助職としての心理士はカウンセリングや心理療法(サイコセラピー)の教育と訓練を受けるのですが、それらの手法が自然科学的な心理学にルーツを持つかというと、実はそうではないんですね。心理士のなかには「やさしさ」のような怪しい成分が入っています。

 当然のことながら、人が心身の調子を崩すということは自然科学が発展するよりも前からありました。その時代にどうしていたかというと、シャーマンのような霊や神の専門家が出てきて、よくわからない現象Xに対して「狐に憑かれている」とか、「亡くなった誰々の呪いを受けた」とかいう説明を与え、その説明に沿ってお祓いを受けたり、穢れを広めないために一定期間隔離されたりするような処置を受けていたようです。

 現代の我々から見ればバカげたことに思われるかもしれませんが、このようなシャーマニズム的なケアにも一定の効果があったのではないかと言われています。よくわからないものに説明と対処が行われることそのものが、当人と周囲の人々に安心を与えますし、シャーマンの行う説明と対処によって、物の見方や生活行動パターンに変更が加えられて、心の不調を維持してしまう物の見方や、人と人との関係のパターンに変更が加えられるから、というのが現代的な観点からの理由です。

 占いに行って「来年はとてもよくなる」と言われたり、「○○をすれば運気が上がる」と言われて、心持ちが変わるということは現代でもあることでしょう。そういう意味で、占いや宗教家というのはカウンセリングの親戚のようなものだと思います。

 科学が発展して、霊魂や神への信仰が弱まってくると、催眠という手法が用いられることになりました。その後、20世紀初頭にオーストリアで催眠をやっていたフロイトという神経科医が、患者から「そんなことはいいから、私の話を聴いてください」と言われて自分のやり方を変更したことを契機に、精神分析という手法が誕生します。これが現代のカウンセリングや心理療法の基本的な「話をよく聞く」というスタイルの原型です。

 こうした支援の方法は、なにも自然科学的な発見や法則が先にあったわけではなくて、社会構造の変化のなかでケアする人とケアされる人が関わり合いながら、半ば偶然の力を借りて生まれてきたわけです。偶然の産物とはいえ、そこで生まれた支援方法は、集団のなかで共有され、次世代に引き継がれ、研究の対象とされ、ブラッシュアップされ、そしてまた次世代に引き継がれ、という運動があります。ここが大事なところです。

 この運動のなかで、現代のカウンセリングや心理療法は自然科学と融合して、科学的信ぴょう性を確かなものにしていこうとする動きがあります。でも同時に、「絶対的に正しく効果的な唯一のやり方」に収れんしないところがあります。ここが未だ科学になり切れないというか、心の支援の複雑なところです。今現在の最新のカウンセリングのやり方が数十年後には笑いの対象にされているということは、とてもあり得る話です。逆に、過去の時代に現代のカウンセリングを用いても、それほど効果がない可能性もあります。説得力があり、効果的な心の支援の方法というものは、その時代、その社会によって違ってしまうのです。少なくとも今のところは。

1.4 心理士は科学の衣をまとった現代のシャーマンである

 ここまでの話をまとめると、心理士というのは「心の問題」とみなされる謎の現象Xに対して「心理学という、できるかぎり科学にもとづいた知識や物の考え方を使って理解しよう・説明しようとする人」ということになります。「できるかぎり」というのがミソです。現実問題、今の時代になっても精神疾患と呼ばれる現象は完全に科学によって解明されていないところがあります。

 反対に、心理士は「心の問題」とみなされる謎の現象Xを「先祖」とか、「オーラ」とか、「気」とか超自然的な言葉を用いて説明することはしません。こうした説明は意味がないとか、程度が低いとか言いたいわけではなくて、単に「しない」という話です。自然科学的な教育によって培われる物の見方とは相いれないからです。

 とはいえ、歴史的にカウンセリングや心理療法は自然科学とは別のルーツをもって発展してきた営みであることもあって、科学ですべてをカバーできていません。インフルエンザに罹った人の多くはタミフルを飲んで回復しますが、抑うつ症状で苦しむ人の全てに同じ支援の方法が役立つわけではなく、科学的な成分とは異なる成分、人と人とのコミュニケーションや、そのカウンセリングが持っている文化や人間観のようなものによって回復することがあります。

 あともうひとつ、心理士のポイントとして挙げられるのは、カウンセリングや心理療法という「体系化された方法」を用いて支援を行うということです。集団のなかで共有され、受け継がれ、今も研究の対象とされている一定のやり方を備えた方法を使います。なので没個性的というか、地味ですね。標準医療が地味なのと似ています。なので、「オリジナルメソッド」とか、キラキラした名前のついた支援方法は用いることがありません。

 あと大事なのは、「うつ病経験者です」とか「元不登校です」とかいうような自分の経験(当事者性)をつかって人を理解しようとしたり支援しようとしたりしないという点です。これも、単に「しない」とか「控えている」という話で、その価値を否定しているわけではありません。