第二部 こころの健康とは何か
さて、ここからが第二部です。心理士という人間は「こころの健康」なるものをどう考えているのかというお話をしてみたいと思います。
2.1 「こころが健やか」を意識するとき
質問です。
「こころが健やか」だと意識するときは、どんなときでしょうか。
「こころが健やかではない」と意識するときは、どんなときでしょうか。
このふたつの質問、私の場合は「健やかではない」ときの答えがパッと浮かぶのに対して、「健やかなとき」を答えようとするのは少し頭をひねらなければならない感覚があります。
私は風邪をひいているとき、寝不足のときなど、身体のコンディションが悪いときに「健やかではない」と感じます。私は睡眠時間がたくさん必要な人のようで、7時間を下回るとどうも本調子では動けません。6時間を下回るともうあまり仕事にならなくて、5時間を下回ると「もう人生どうでもいいや」みたいな感覚に陥ります。
また、家族と喧嘩しているとき、仕事で「あれは失敗だったなぁ」と感じるときなんかもダメです。ソワソワするし、ネガティブな考えの堂々巡りが続きます。一時、かなり経済的にギリギリの生活を送った時期がありましたが、その時期なんかもイライラしやすかったり不安になりやすかったりしました。
「こころが健やか」だと意識するときはほとんどありません。だからといって健やかでないわけではありません。自分の相談室の開室準備をしているとき、面接をしているとき、料理をしているとき、お風呂に入っているとき、思い返せば日常の瞬間瞬間に「悪くないな」と思う時間があって、そういう時はおおむね「こころが健やか」だろうと思います。だけれども、わざわざ意識されることはありません。
身体の健康と同じで、上手くいっている時には意識されないものが健康というものなのでしょうね。
2.2 こころは身体と社会の間にある
先ほどの私のこころの不調を整理してみましょう。
「風邪をひいた」「寝不足」こうした状況は身体の状態がいつもと異なる状態といえます。基本的に、こころは身体の影響をモロに受けます。というか、こころと身体を別々のものとして扱うこと自体に無理があるのかもしれません。
ホルモン値の異常、アルコール摂取などは気分を上げもすれば下げもします。薬物の副作用として気分の変化がみられることもあります。いずれも体内のバランスが変化することに応じて気分が変化するわけです。また、交通事故や脳血管障害などで脳の一部に損傷が生じる場合には、部位によっては人格変化がみられます。
身体が崩れればこころも崩れます。
「家族と喧嘩をした」「仕事で失敗した」こうした状況は、私と家族との関係性、私と患者さんとの関係性(あるいは私と上司の関係性)が関係しています。他者からの評価、という言い方もできるでしょう。自分と周囲との関係性が揺らぐこともまた、人を不安定にさせるということですね。
自分が置かれている環境の影響も大きなものがあります。経済的な困窮だけでなく、社会的にマイノリティであることや、孤立していること、ハラスメントが横行していることなども、人のこころを崩す大きな要因となります。環境が悪ければこころの状態も悪くなるという一般的な傾向があります。
こころは身体と繋がっている。こころは社会と繋がっている。こうした考え方をメンタルヘルスの専門家は「生物ー心理ー社会モデル」と呼んでいます。こころを単体でみるのではなく、生物学的な(からだの)影響も、社会の影響も、どっちも見ましょうねということです。
ですので、気分が沈んだり、不安になったり、死にたくなったりなどの「こころの不調」と思わしき事態が現れるとき、「からだは楽になっているか」「環境は整っているか」を見直すことはとても大切です。
からだの面にアプローチするなら、睡眠時間をたっぷりとる、栄養のあるものをしっかり食べる、気持ちのよい運動をする、身体の異常がないかお医者さんに相談する、といった対応が良い結果につながることがあります。
環境面にアプローチするならば、学校や仕事を休む、業務量を減らす、自分に合った仕事や人間関係を増やす、人とおしゃべりをする、関係がこじれた相手と対話する、などの対応が考えられます。